ケーキハウス・ツマガリ:甲陽園のお菓子工房

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ツマガリ社長について

講演内容

「志を立てれば道は拓ける」串間市立福島中学校 第9回立志式より

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そこでは、荷物をトラックに詰め込む仕事でした。毎日毎日、何十トンと詰め込む仕事ですよ、行った先は日清紡績という大きな会社ですよ。下請けの下請けのまた下請けの下請けの会社です。休みに日には保全の仕事をしました。化学工場の中のゴミをとる仕事でした。それがホルマリンとか化学薬品を扱うからやけどをするような薬です。

それから、ブレーキを造る工場に回されました。今、危険といわれている石綿を扱う仕事でした。ふわふわしていて、綿みたいで気持ちいいなあと思ったら、あれは石綿だった。まだ、子供だったから何もわからなかった。針金と混ぜてプレスして、それが本当にふわふわして気持ちがよかった。それが、危険物であると知らんかった。今思ったら、おそろしい石綿だから、そこで何十年と働いとったら、死んどったかもわからん。そのようにして、危険な仕事もくぐりぬけてきているわけ。そこで1年仕事をしました。そこで毎日仕事をしていると、自分が滅入ってしまう。なぜなら、給料は4,000円か5,000円位だったかな。田舎にもちょっと送ったりしていた。また、生活といえば、洗面器を風呂に入るときと鍋を両方兼用で使っていた。かねの洗面器で夜は飯を食うときはラーメンをつくって鍋にして、そのまま歩いて行って風呂では洗面器として使う。生きるということは、親から一銭ももらわないでも、生きていけるという自信になる。自信になるんです。生きていこうと思えば、何とでもなるんですよ。宗教を身に付けてもだめです。一番大事なすばらしいことは、自分に自信をつけることです。自分を好きになることです。自分が好きになれる人間になることです。それが一番です。この世の中で自分を一番好きになってください。いたわってください。愛してください。慰めてください。そうすることによって、感情が身に付きます。自分を自分のものにすることができます。親孝行なんて考えなくてよい。子が生業に励むことこそ親孝行になる。親は子供が一生懸命頑張っている姿を見て親は喜ぶのです。

あるとき、運転手に自分の将来のことについて相談した。「これから僕に将来のいい仕事ないですか。」「これからはな、車も増えるし、交通事故も増えるし、板金工になったら、いいんじゃないか。」と言われたから、「はい、わかりました、僕そこに行って仕事がしたいです。」そうしたら、東京の赤羽というところに連れて行ってくれた。そして、「明日からお願いします。」と言ってお願いした。僕は、その時分は、串間弁丸出しですから、そこで働いている人がみんな東北の人で、づうづう弁でしゃべっていて、さっぱり言葉がわからない。自分は九州弁で相手の人が私の言葉がわからん、相手は東北弁で自分も相手の言葉がわからん。お互いに言葉が全く通じない。外国に来ているような気持ちがした。そこには、みんな秋田県の人たちがかたまってきていて、言葉がわからない。「やめた」と思ってやめました。

それからまた、大阪の紡績会社に変わりました。そこの仕事がまた大変でした。重たい1トンくらいする鉄を縛った物を運んで、これを鉄ばさみで切って、機械の中に入れる仕事をした。昼の1時から明くる日の5時まで仕事をした。体重が40キロぐらいになった。やせこけてですね。しかし、そこで、どんなにきつい仕事であっても、単純に生きる。つまり、明るく、元気で、素直に生きることを教えてもらった。

あるとき、私の仕事の様子を見て、「洋菓子屋にならないか。」と声をかけられた。「僕は洋菓子は知らないからお断りします」と言って断った。「今の仕事で、一生終わるから、ここでいいです。」と断った。「いや、今からむかえに行くから。」といって、迎えに来て無理やり連れていった。そのときに、「洋菓子をつくる者は、フランス語を知らないと、いかん。」と言われた。まして、日本語もわからない男がやな。「とんでもないと断った。」それから、東京の渋谷のガード下の10分散髪屋に行って、頭を丸刈りにされて、それで面接に行った。そしたら、お菓子の工場長さんが、「おお ええ顔しとるな。」「明るくて、元気がよさそうやな」というて、17歳のときにお菓子屋の会社に入れてもらったのが、お菓子屋になるきっかけだった。

人間の運命というものは、どんな人との巡り合わせがあるかわからない。その頃は、われわれの、この白衣の世界がもてはやされるとは夢にも思わなかった。当時は、お菓子の職人の世界ですから、洋菓子が世間にそう知られているものではなかった。その声をかけてくれた人は、現在、日本洋菓子連盟の会長をされている人で、ハイカラな洋菓子屋でした。その出会いが、よかったのですね。私はそこで、一生懸命頑張りました。シュークリームをはじめて食べたとき、こんなにおいしい物があるのかと感動した。僕は、食べ物に不自由しておったから、今度は食べ物屋さんに入ったら、洋菓子がたくさんあるわけですから、冷凍庫になんぼでもあるわけだから入っている。それをなんぼでも僕は食べられると思った。ゴミ箱にはお菓子のはしきれが捨ててあった。それを拾って、袋に入れてもって帰って部屋で食べた。もったいないなあと思った。そうしたらね、金持ちのぼんぼん達、その人たちは、みんな日本中から菓子づくりの勉強にきている。菓子屋の息子でその人たちは、みんな裕福なのよ。「おまえ、そういう食べ方をするな。」と言われた。たかが、はしきれかも知れないが、僕は、おいしい物を平気で捨てる気持ちがわからなかった。僕は、それをずっと味わって、味覚を鍛えた。おいしいものを軽くすてる。

それでも、僕は、将来何も、お菓子屋になろうとは思っていなかった。ただ、一生懸命、砂糖をかついで、何回もかついで、工場へ運んだ。そして、先輩の言いつけを守って、一生懸命頑張った。洗い物も一生懸命した。そして、ゴミ捨て場の仕事場に、いつもゴミ屋さんが取りに来る前に、掃除をして、消臭剤をまいて、ゴミ屋さんがいつも臭い思いをしたらいけないと思って、よく磨いていたんだよ。すると、ある時、ゴミ屋さんのおじさんが「ぼく、おまえはいつか偉い人になるよ。楽しみなんだよな。おまえがいつもゴミ捨て場をきれいにしてくれる。」「おまえが、いつもきれいにしてくれるのをわかっている。」と言って頭をなでてくれる。

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